私が派遣会社に登録したのは、23歳の頃でした。大卒なのに、在学中に就職できず派遣に登録したのです。その中でも、初めて紹介してもらった現場はとても良い現場でした。その派遣先は同僚の派遣社員も多く仕事内容も楽しかったので、私自身楽しくお仕事していました。その派遣先で忘年会があり、私たち派遣社員も呼んでいただきました。なんと、一泊二日のホテル代、正社員も合わせて総勢100名はいたかと思いますが、その全員が参加費ただ。全て社長のポケットマネーでのおごりでした。そのとき、その派遣先での働きやすさはこの社長ありなのだと感じました。
夫婦が別姓を名乗ることができないとする民法の規定は、両性の平等などを定めた憲法に違反するとして、夫婦別姓を望む東京都などの30代〜70代の男女5人が、国に1人当たり100万円の慰謝料を求める訴訟を近く東京地裁に起こすことが6日、分かった。原告側弁護団が明らかにした。弁護団によると、夫婦同姓を定めた民法規定をめぐる違憲訴訟は全国で初めて。
原告のうち、男女1組は各自の姓を名乗るために、戸籍上は入籍しない「事実婚」状態。残る女性3人は仕事などでは通称として旧姓を名乗っているが、戸籍上は夫の姓となっている。
夫婦が希望すれば結婚後もそれぞれの姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」は、平成8年、法制審議会が制度導入を盛り込んだ民法改正要綱をまとめた。しかし、「家族の一体感が失われる」などの反対論が与党だった自民党内に噴出、改正は見送られた。導入に積極的だった民主党が一昨年に政権を握ったものの、議論は進んでいない。
弁護団は「本来の姓を名乗れず、精神的苦痛を感じている人もいる。国会の議論が進まないため、司法判断を仰ぎたい」としている。
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千葉景子元法相は23日、東京大学で家族法改正をテーマに講演し、選択的夫婦別姓などを含む民法改正などで家族のきずなが弱まるという意見に対し「同姓の現状でも離婚が増えている。神話論争をやっているようなもの」と主張した。
家族の在り方が大きく変化する中、家族法改正を考える一助にしようと、同大学の学生団体が講演会を主催。千葉さんも招かれた。
千葉さんは選択的夫婦別姓を含む民法改正を「大きな一つのライフワーク」と説明。議員立法を提出しても廃案になるなどの民主党参院議員時代の活動を例に、「社会に多様な意見があるように政党も一つの価値観でまとまっていない。大きなコンセンサスをどうつくるかが重要」と課題を指摘した。
また法相時代を振り返り、「曲がり角に来ている法律を使い勝手のいい方向にしたかった。1年弱務めたが仕上げるところに至らなかった」とも。旧姓で社会活動する女性の負担が解消されない一方、賛否が対立したまま議論が行われない現状への歯がゆさものぞかせた。
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旧日本軍の軍人・軍属として亡くなった台湾人を慰霊するため昨年11月に台湾を訪れた「第12次日華(台)親善友好慰霊訪問団」の「帰朝報告会」が22日、福岡市内で開かれた。元台湾総統府国策顧問の金美齢氏も飛び入りで参加し、団員らの話に聞き入った。
約50人の団員らを前に小菅亥三郎(こすげ・いさぶろう)団長は「台湾人の同胞への供養を国民の立場からさせて頂くことが第一の目的」とあいさつ。参加者の感想文を紹介しながら訪問の成果を報告した。
第12次訪問団には47人が参加し、戦没者慰霊施設を訪れたほか、現地の小学校を表敬訪問するなどした。
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沖縄戦で入手した写真などを返却するために来県している元米兵のドゥレル・ギブズさん(85)=米国モンタナ州=と写真に写った男性の家族らが21日、南城市役所大里庁舎で対面し、家族の元に写真が返された。
訪れたのは、12枚の写真のうち1枚の裏に記された「喜久山正一」さんの長女・知念(旧姓・喜久山)しのぶさん(55)=うるま市=ら4人。ギブズさんが来県したという報道を見て、「写真に写っているのは父親ではないか」と連絡を取り、この日返却された。
知念さんによると、喜久山さんは、1995年に病気で亡くなった。喜久山さんは寡黙な人で、戦時中の出来事は語らなかった。ギブズさんと対面した知念さんは、父親の人生を思い起こし、時折、涙を見せた。
写真を手渡したギブズさんは「家族の元に返せて安心した。家族もうれしく思っているなら、私も同じ気持ちだ」と話した。
受け取った知念さんは「懐かしい人に会ったような気持ち。ただただ感謝している」と、涙ながらに語った。
仲介した琉米歴史研究会の喜舎場静夫理事長によると、小さな封筒に書かれていた「北條啓二郎」は平和の礎の刻銘から岩手県出身と確認された。近く同県の地元紙と連絡を取っていく予定。
派遣先での忘年会
2011
30
June
30
June
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